デンマークについに帰ってきました。
まだお疲れのぐーちゃん。抱っこしてるのは親友・Uちゃんが東京でプレゼントしてくれたお手製のアンパンマンです。(o^^o)(Uちゃんいわく、ちょっとこげパンマンだそうです。笑)
東京で会ってくれた友達、みんな、本当にどうもありがとう・・・・
そして、私が友達に会えたのは、その間ぐーちゃんを見てくれた叔母のおかげです。
メールのお返事が遅くなってしまって、お待たせしてしまっている方々、友達、ごめんなさい。
日本にいるときは、なかなかインターネットの時間が取れなくて、お急ぎの件のお客様への必要最低限のお返事しか出来なくて・・今日と明日でお返事しますね・・!
帰りの旅は、こんなふうでした。
23日に、東京で朝4時に起き、5時半に家を出て、成田エキスプレスに乗って、空港へ8時頃到着。
11時前頃、飛行機に乗り、ロンドンに、日本時間の夜22時頃到着。乗り換えの飛行機が遅れて、待つことしばらく。そしてコペンハーゲンのカストラップ空港に着いたのは夜20時すぎ、日本時間でいえば24日の朝3時すぎ。そこからオーデンセの家まで1時間半。着いたのは夜22時近く、日本時間でいえば24日の朝5時。というわけで、ほぼ24 時間の絶え間ない長い旅をぐーちゃんと一緒にしました。
家にたどりついたときは、床に布団をしく元気もなく、ぐーちゃんと2人でそのまま倒れこむように爆睡。
その後2日間の土日は、私はソファから起き上がれず、頭痛と眠気で朦朧・・・でも、今日から復活です。
ぐーちゃんは土曜日よく寝たら、さすがの若さで?、もう元気でした。笑
そんな長旅だったけれど、乗り切れたのは、旅の途中で会った方たちの優しさのおかげだなあって本当に思います。
成田空港では、一緒に大学生のときアルバイトして以来仲良しの素敵な親友・Yちゃんが、サイパンへ旅行に行くため、偶然同じ日と時間帯に空港にいるということで、子どもたちのためのプレイルームで待ち合わせして、しばし、Yちゃんの可愛い小さな女の子とぐーちゃんとで遊びました。これから飛行機に乗る緊張感と、ついにまた東京をはなれるさみしさが、よっちゃんの顔をみたらうすれて、幸せな気持ちで、飛行機に乗り込めました。
飛行機の中では、じっと座っていられない"魔の2歳児" ぐーちゃんが、通路を行ったり・・来たり・・・。にこにこ、乗客の方たちに笑いかけながら何十周したか数えきれないくらいでした。そんな私たちに、優しい方たちがにこにこ笑いかえしてくださって、ぐーちゃんをあやしてくださったのが、本当に嬉しく、有難かったです。
小学校2年生のとっても可愛い女の子が優しいお母様と一緒にぐーちゃんをお守りしてくださって、その席に来るたびにぐーちゃんは、嬉しそうに笑ってました。4歳の、日本とイギリスのハーフの、わんぱくな男の子も一緒になって、3人の子どもたちで楽しそうにすごしてくれて、そのおかげでぐーちゃんは、泣き声もあまりあげず、途中くたっとお昼寝してくれました。
4歳の男の子のイギリス人のパパは、"この子が2歳のとき、私も同じように通路を往復しましたよ。それがいちばん静かにしてくれる方法だものね、そうするしかないのだよね、がんばってね。3歳になったらずいぶん楽になりますよ" と日本語で声をかけてくれました。
お友達と一緒にご旅行中の方たちが、"私の孫は1歳8ヶ月の男の子なのよ" "うちの孫も2歳くらいよ。" "この子も2歳なの?じっとしてられなくていちばん大変なときよね、通路を歩けば静かにしてくれるし、後で疲れて眠るから、そうするのがいいわよ。" って言いながら、いないいないばあをしたり抱っこしてくださったりもしました。
ママの作戦のひとつとして、ポータブルDVDプレイヤー(これはデンマークで出会った私の大事な親友の方が勧めてくれました)を買って、機関車トーマスのDVDを見せたり(これはかなり効果がありました。さすがです。お勧めです!笑)、おやつもジュースも普段と違って食べたがるだけあげるなど、なるべく席にいられるようにがんばったけど、それでも2歳の男の子は十時間ずっとはじっと出来ず、通路をでけでけ!と歩くのでした。
周りの方にご迷惑をかけないように・・と気をつけながらも、それでもやっぱりご迷惑はかけてしまったと思います・・、
でも、飛行機の中で出会った方たちの優しさに本当に助けて頂きました。
行きのコペンハーゲンから東京への飛行機では、通路を静かに往復していたぐーちゃんと私に、日本人の若いカップルの男性が、"あのー、僕の彼女も言っているんですけど、通路歩かれると目障りなんでー、席に座っててください。" と言いました。すみません、と謝りながら、まだまだ歩く!といいたげに、私の手を振り払い、えびぞりになってありったけの声で泣き叫ぶぐーちゃんを脇に抱えて、周りの方にすみません・・と言いながら、席におさえつけていました・・。
なるべく泣き叫ばないように、かつ席に押さえつけるのはきつく、とにかく眠ってくれ、どうか静かにして・・と、ゆすりながらずっと抱っこしていました。
へとへとになって成田空港に着いて、荷物受取所で、ベルトコンベアから乳母車とスーツケースを、おいしょ!と取る私に、その人は、"僕は、乳母車も反対なんですよね、公共の場で場所とって迷惑じゃないですか。子ども管理できないなら、飛行機に乗らないほうがいいですよね" と言いました。
"ご迷惑おかけしてしまって本当に申し訳ございませんでした。・・でも、あなたが2歳でらしたとき、どんなでらしたか、お母様にお聞きになってみてください。2歳の男の子は、おむつがまだ外れないのと同じように、大人の言うことをちゃんと聞いてじっと10時間座っていられるようなものではないんです・・新しいおもちゃを持ってきたり。色々工夫したけど、数時間以上はもたなくて。泣き叫ぶよりは、静かに歩かせるほうがいいと思って・・"
と言ったけど、その人は、"僕は子どものことは全くわからないんです。でもあんなに通路を歩いてて、周りの方はよく我慢できるなあと思いましたよ。ですから、僕の母は僕が2歳のときは飛行機にも乗りませんでしたしきっと出歩きませんでしたよね。僕はデュッセルドルフと日本をよく往復してるんですけど、飛行機の中にあなたのような子ども連れがいるかいないかでぜんぜん違うんですよ。同じチケット代が払ってるのに、不公平じゃないですか。" と言っていました。彼の彼女はなんだか冷ややかに私のことを見ていました。
迷惑をかけてしまった・・と悲しい思いと同時に、そんなこと横目で冷ややかに言っているより、このちびすけを抱えて荷物取ってる私に手のひとつでもさしだして助けてほしい・・。それに、そんなに子どものいる飛行機がいやなら、ビジネスクラスかファーストクラスに乗ればいいのに。ぐーちゃんはビジネスクラスの通路までは行かなかったわよ、と心の中で勝手に思いながら言えなかった私でした。申し訳なさと悲しみと、その人と自分への怒りのまじった気持ちでした。
その後、出口で迎えに来てくれた叔母の姿を見たときは、情けなくも涙が出てしまいました。
ぐーちゃんが生後半年のときに初めて一緒に東京に帰ったとき、私は一睡も出来ず、トイレにも11時間一度もいけませんでした。人見知りの頃で、私以外の人に抱っこされると即大泣きするので、スチュワーデスさんに1分抱っこして貰ってトイレに行く、ということも出来なかったし、トイレに赤ちゃんをおけるような場所はないし、なるべく泣かないように、周りの方に迷惑をかけないように・・と思う私の緊張は極度のもので、着いたときに、迎えに来てくれた叔母の姿を見ると涙がでて、私もう2度と飛行機には乗りたくない。と思ったものでした。成田について、その空気の違い、色々な音の大きさや人の多さに驚いたのか大泣きするぐーちゃんを泣き止ませることができず、私のエゴで連れてきてしまった・・と思って、成田エキスプレスでも泣き止まないぐーちゃんを叔母と2人であやしながら、それでも泣きやまないぐーちゃんに、情けなくも私もまた涙がでそうでした。ちょうど優しい車掌さんが、グリーン車は誰もいないからそこに行ってもいいですよ、と声をかけてくださり、やっと安心できました(それ以降、毎回成田まで、叔母が車で迎えに来てくれます)。
今回も入れて全部で3往復したけれど、毎回、ぐーちゃんと飛行機に乗るときは、ものすごい覚悟をして乗ります。 十数時間、私は眠れない、あまり食べられない、トイレに行けない、そして周りの方にご迷惑をかけないよう神経を最大限に使うことを覚悟します。それは親として当たり前のことです。でも、ものすごいパワーがいります。
今回は、東京に着いたときには、疲労のせいかリンパ腺と耳の中が腫れてしまいました。
それでも飛行機に乗るのは、やっぱりどうしても、東京の家族と友達に会いたいから・・(ご飯も食べたいです。笑)
でも、今回の往復で、ぐーちゃんが3歳くらいになるまで、あと1年は里帰りはやっぱり出来ない・・と思いました。
デンマーク人と結婚してデンマークに住むことを選びながらも、日本が恋しくて、みんなに会いたくて・・、
それは私の勝手なのだと思いながらも、私の大切な人たちにぐーちゃんと会ってほしいという思いと、
自分が家族や友達に会いたい、自分の故郷に行きたい、がんばって元気でいてくれているおばあちゃんに会いたい、という思いで、やっぱり1年に1度は里帰りをしたい・・と思ってしまうのです。
そして、そんな勝手な私だけど、周りの方々の優しさに、本当に救われています。
同じように赤ちゃんや小さな子を連れて里帰り中・旅行中のママたち、お孫さんがいる方、かつて子育てをした方、にっこりぐーちゃんに笑いかけてくれる若い優しい方たち、おじいさん、フライトアテンダントの方たち、可愛い小さな子たち・・。
いちばん最初の里帰りのとき、通路へだてて隣にいた優しい、私の叔母くらいの方が、ぐーちゃんに、"ほらほら、早くねんねしなさいよ。"と言ってあやしてくれたことや、帰りの飛行機で後ろにすわっていた、スウェーデンと日本のハーフの4歳の息子さんがいるという、日本人の優しいママさんが、ぐーちゃんを抱っこしてくれて、そのおかげで、私は行きとちがってトイレに行けたこと。
2回目の里帰りのとき、ちょ うどぐーちゃんと同い年の、日本人とドイツ人のハーフの男の子を連れた日本人のママがいて、その男の子がずっと大泣きしているのを一生懸命あやしていて、お互いに励ましあったこと。帰りには、日本人とイギリス人のハーフの小学生くらいの男の子たちを連れたイギリス人のママがいて、"一人で赤ちゃん連れて里帰りする大変さ、私もよく知っているのよ"と声をかけてくださって、日本人のパパと一緒になって助けてくれ、空港では出口まで荷物を持って下さったこと。
お礼を十分言えたかどうか分からないことがふがいなく、心残りだけど、出会った方たちのこと、忘れません。
朝日新聞の天声人語が目に留まったので、抜粋します。
幕末から明治にかけて日本に来た欧米人の多くが、この国を"子どもの楽園" と見たのはよく知られる。
たとえば英国の旅行家イザベラ・バードは"これほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない"と紀行文につづった。
大森貝塚の発見で知られる米国の動物学者モースは、日本ほど子どもが親切に扱われる国はないと感嘆している。
わが子に愛情を注ぐだけでなく、世の中全体が子どもを大事にし、寛容でもあったようだ。
そんな昔と比べて気の毒になる投書を東京の声欄で読んだ。
ある母親が8、3、1歳の3人を連れて新幹線に乗った。
東京駅で降りるとき、年配の女性から "うるさいのよ、あんたたち" と吐き捨てるように言われたそうだ。
申し訳なかったと思いつつ、もう家族旅行はしたくないという気持ちが押し寄せてきたという。
別のお母さんも、"わが子が赤ちゃんだった頃、何がつらかったかと言えば、泣き声などが周りに迷惑をかけているというストレスだった"と書いていた。
中には親子ともども、しつけの足りない場合もあろう。親はほったらかし、子はしたい放題。だが多くの親は周囲に気を使い、くたびれはてる。不機嫌な視線を意識して、神経をすり減らす。
詩人の高田敏子さんに幼い女の子の靴をうたった詩がある。
"おとなの 疲れた靴ばかりのならぶ玄関に
小さな靴は おいてある
花を飾るより ずっと明るい"
と結ばれる。
夢ふくらむ靴をはいて、幼子も旅に出る夏休みである。
思い出に、大人の寛容を添えてあげたい。
2010年7月20日
Finally back to Denmark, after 24 hours of looong travel with little Gustav.
In the air plane Gustav walked back and forth the aisle like hundred times...
(He cannot be still for 10 hours..)
From Copenhagen to Tokyo, there were Japanese couple who told us "Me and my girl freind is annoyed that you two are walking the aisle. Please keep seated. If you cannot manage your child, you should not take a plane."
On the baggage pick up place, when I was picking up my suit case and small baby carriage with Gustav in my arm,
he was there again and said "I am against the baby carriage in public space. It occupies space. I am always travelling from Germany to Japan and whenever there is baby or children in the plane, I am annoyed. I am paying the same bill for the ticket and so it is unfair." he claimed.
I apologized that I annoyed him by walking the aisle quietly with Gustav, and said "I am so sorry. But if you ask your mother how you were when you were 2 years old boy, you would understand how it is impossible to keep the boy in seat for more than 10 hours..If I try to keep him in the seat all hours, he would scream. I thought that is worse than walking the aisle quietly.." And then he said, "Well my mother didn't take plane or went out with me back then. It is your egoism that you travel with that little child. And I can wear the ear phone with music and movie so it is better for me that he screams than he walks the aisle." His girl freind was looking at me too with cold eyes.
I was so tired and sad.
It is always a big work to travel with Gustav but I choose to travel anyway. I know this is because I chose to live in Denmark but at the same time I miss my family and freinds in Tokyo..
But on the way from Tokyo to Copenhagen, even though it was a longer travel, there were so many sweet people I met and it was an easier travel. For over 24 hours we travelled and finally came home.. I am so thankful to people we met during the travel, who smiled to Gustav, played with Gustav.
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めぐみさん、ぐーちゃんお帰りなさい。
ReplyDelete同じママとして、心ない人たちの言葉には涙してしまいました。私が想像する以上に大変な旅だったのですね。そして、あたたかいエピソードがあったことにほっとしました。
高田敏子さんの詩、とてもあたたかで素敵ですね。ずっと心に留めておきたいと思います。
モアモアさん再開、とても嬉しいけれど、無理なさらないように。
そのこ