クリスマスの前、東京から伯母がはるばる遊びに来てくれました。
祖母の看病のあいまをぬって、たくさんのお土産(私の大好きなおせんべい!笑)
と共に、やって来てくれたのです。
オレンジ色のシンプルな灯りがきれいなオーデンセの街を
一緒に散歩しました。
写真が趣味の伯母、たくさん撮ってくれました。
ワイン色の飲み物は、赤ワインにスパイスやレーズンがいっぱい入った
クリスマスの飲み物、グルッグ。体があたたまります。
日本の、冬に飲む甘酒みたいなものかしらねえ、と一緒に飲みました。
アンデルセンの街オーデンセ。
つい最近、アンデルセンが少年時代に初めて書いたと思われる童話が
図書館で見つかり、日本でもニュースになりました。
アンデルセンは、少年時代、貧しい靴職人のお父さんと洗濯婦をするお母さんのもとで育ちました。お父さんと人形劇遊びをするのが大好きで、空想好きな少年だったそうです。
でも、貧乏だった為に、近所の人の古くて大きすぎる服を着て、
風変わりだったため、いじめられていました。
それでも、神様を信じて、お祈りをすることで乗り越えてきたそうです。
でも、ナポレオンの戦争に志願して兵隊になったお父さんは、
帰ってきてから心身ともに病気になり、
雪の女王が命を取りに来ると叫びながら亡くなったそうです。
生活はますます貧乏になり、寒い水辺で凍えながら洗濯婦の仕事をするお母さんに頼まれて、
体があたたまるようシュナップスというお酒を少年アンデルセンは走って届けたそうです。
王立劇場の踊り子か俳優になりたいという夢を持っていたアンデルセンは、
コペンハーゲンに行きたいとお母さんに頼みます。
お母さんは占い師のもとへ行き、アンデルセン少年の運命を占ってもらったところ、
"この子は大変な人物になるでしょう!そしてオーデンセの街はその栄光を受けるでしょう"
と言われたそうです。
そうしてアンデルセンはお母さんに見送られ、一人でコペンハーゲンに向かいました。
アンデルセン少年は体当たりで王立劇場の支配人たちのもとへ行きますが、
やせすぎと言われたりとことごとく断られ、自尊心を傷つけられ続けながらも
夢をあきらめませんでした。
貧しい生活の中で劇を書き、それがようやく支配人に認められましたが、
きちんと教育を受けていなかったがために、文法の間違いが多すぎるため、
まずは学校に送られることになりました。
アンデルセンの才能と情熱を見抜いた王立劇場のディレクターが推薦してくれたために、
学費はデンマークの王様が払ってくれることになりました。
しかし、学校では校長先生にいじめられ、作家の才能はまったくないと否定され、
神経衰弱になってしまったそうです。
それでもあきらめずに創作を続け、小説が認められ始めます。
でも、デンマークでは評価されず、ドイツなど外国で評価されたため、
アンデルセンは外国へ旅することを好みます。
しかし、旅行中にお母さんが亡くなり、何ヶ月も経ってからそれを知ったアンデルセンは、
"もうこの世に誰も自分を心から愛してくれる人はいなくなってしまった"と悲しみます。
どの女性に恋しても報われず、親友と呼びたかった男性には、
生まれが違いすぎるので親友と呼ばないでほしいと否定され、
アンデルセンは孤独を感じながらも、美しい物語をたくさん書きました。
デンマークで人々に受け入れられなかったアンデルセンは、
それでも、デンマーク、わが父の国、という美しい詩を作りました。
そして、最後には母国デンマークでも認められ、オーデンセの街の市庁舎の前で
街の人々に拍手喝采を受け、自分の人生もまた美しい物語だったのだと
彼は日記に書いています。
亡くなったときは、胸元に、若いときに恋していた女性からの手紙がしまわれていたそうです。
美しい白鳥になったみにくいあひるの子は、アンデルセン自身だったのかもしれません。